バス・ドゥヴォス『Here』『ゴースト・トロピック』

 Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下でバス・ドゥヴォス『Here』『ゴースト・トロピック』を見た。バス・ドゥヴォスはベルギーの新鋭監督で、日本公開は今回の2作が初。

 ともに90分に満たない上映時間、かつ明確なストーリーラインもほぼ存在しない。にも関わらず、映画館を出るころにはじんわりと「いい映画を見たな」という気持ちになっていた。今回は各作品の感想と、2作続けて鑑賞したことで気づいた作家性についてまとめていく。

バス・ドゥヴォス『Here』『ゴースト・トロピック』特報

自然の営み、そのすべて / 『Here』

 『Here』は長編第4作で、現状の最新作。
 舞台はベルギー・ブリュッセル。ルーマニアからの移民である建設労働者のシュテファンは、アパートを引き払い故郷に帰ろうとしている。冷蔵庫を空けるため姉や友人にスープを作り手渡すなか、以前出会った苔を研究する学者・シュシュと森で再会し交流していく…というのがおおまかなあらすじ。

 何よりもこの作品は緑が美しい。シュシュの研究テーマである苔やクライマックスで登場する森をはじめ、ブリュッセルのあちこちに根付く緑が自然光で優しく輝いている。16mmフィルムで撮影されたせいもあって、陽光が強く射す場面でもトーンは柔らかなままだ。

 この緑はシュテファンと対照的なモチーフと言っていい。根を張るものと移り行くもの。方々にスープを手渡すシュテファンはさながら水の流れだ。緑と光、’水’のようなシュテファンに’空気’としてのシュシュが加わり、本作は動き出す。シュシュが最初に登場したときのことを思い出そう。彼女はモノローグでこんな詩を朗読している。

私はここにいて 私はそこにいる
すべてが流動的で 万物との一体感に身を委ねた

 このモノローグを境に、シュテファンが交わす会話に過去や未来の話題が増えていく。刑務所に入った幼馴染との思い出話に花を咲かせる姉のアンリ。「お前が戻ったら8月にパーティーをしよう」と話す修理工のミハイ。そのやり取りの中で、ただそこにいるだけが「存在」じゃないことを我々は思い知らされる。記憶の中に、予想図の中に、私たちは息づくことがあるのだ。

 ラストでもシュテファンはある人のもとへスープを置いていく。もちろんそれは優しさの表れだが、同時に単なる餞別でもないことを我々はもう知っている。今ここにある生は、誰かの過去や未来の中にも生き続けるのだ。穏やかな光の中で。

 まるで自然の成り立ちをそのまま切り取ったような、あたたかく優しい映画だった。

予告編『Here』

日が沈み、社会が昇る / 『ゴースト・トロピック』

 『ゴースト・トロピック』は2019年製作の長編第3作。
 舞台はこちらもベルギー・ブリュッセル。掃除婦のハディージャは仕事帰りの最終電車で寝過ごしてしまう。徒歩でしか帰れないと知り街を歩くなか様々な人と出会い…というのが話の流れ。

 あらすじからして『Here』よりはドラマ感が強い。ハプニングや出会いがあり、最後には元いた場所に戻る。しかしその頃にはかつてと少し違う自分になっている。ファーストショットとラスト前のショットも対になっており、ほとんど円環構造といっていい。とはいえそれ以上劇的にはならず、そこにいることをわざとらしくなく切り取っている。

 上記の対になるショットがリビングを映すことからわかるように、本作は居場所についての映画だ。寝落ちしたハディージャの前に、それまで見えなかった人々や社会が立ち現れる。彼らは存在しなかったワケではない。光の下では目に留まらなかった者たちを闇が照らし出しただけだ。路上にうずくまるホームレスや空き家に住まう青年、ガソリンスタンドの売店に勤める女性。みんな確かにそこにいて、それぞれの居場所を作っている。

 本作最大のハイライトはハディージャが娘を見つける場面だろう。彼女には2人の子供がおり、下の娘はまだ17歳。娘は仲間と夜中に街をぶらついており、酒も飲んでいる。複雑な表情で様子を見守るハディージャだが、娘は心から楽しそうだ。そこではたと気づく。娘にも心を許せるコミュニティがあり、(酒こそ飲んでいるが)他者に迷惑をかけたりせず生きていると。職場で談笑する自分と同じように。そしてハディージャも娘の世界を壊すことなく、しかしちょっとしたお節介をして去っていく。

 「見知らぬどこかへ」という看板に導かれて始まったハディージャの家路は、いくつかの出会いと1つの別れを経て終わる。覆せない喪失を目の当たりにしてもなお彼女は最後に「よかった」とつぶやく。誰にも居場所が、寄り添う誰かがいたのだと噛みしめるように。

予告編『ゴースト・トロピック』

「物語未満、縁未満」がもたらす希望

 最後に作家性の話をしたい。

 冒頭にも述べたように、この2作品には明確なストーリーラインが存在しない。ドラマティックからは程遠く「物語未満」とさえ言えるだろう。人生のある期間、ある断片にたまたまカメラが密着したかのような作品だ。ゆえにセリフも少なければ、感情を露わにするシーンもほとんどない。

 そうした物語未満の世界で何が描かれているかといえば、移動とささやかな出会いだ。シュテファンは故郷に帰る前に友人を訪ね歩いているし、ハディージャは家路につく途中で様々な人と関わる。あちこちに足を伸ばす彼らの姿は、安住の地を求めているようでもある。ベルギーが多言語国家であり、シュテファンとハディージャがともに移民であるという設定がその思いをより強くする。

 彼らに変化をもたらす主体が名もなき者である点も見逃せない。シュシュや彼女が研究する苔。ハディージャが関わる人々。ともにそれまで仲が良かったどころか、初めて会話を交わすような相手だ。もっと言えば皆、社会での立ち位置も高いとはいえない。しかしそんな片隅にいる存在でも誰かを救うことがある。もちろん救われることも。袖が振り合う程度の縁がもたらす希望を、この2作品は優しく描き出している。

 蛇足だが、最後にその他気になったところを。
 先述したように明確なストーリーラインのない作品ではあるが、だからと言って起伏がなく冗長かと言えばそうではない。カットによる大胆な省略が時折差し込まれ、それが作品にサスペンスをもたらす。たとえば『Here』における、店で中華料理を食べたあとすぐ姉・アンリとハグし合うその飛躍。あるいは『ゴースト・トロピック』のラスト2カット。全体的には穏やかながら時折バッサリと場面をカットするので緊張感がずっとある。今この瞬間が約束されたものではないのだと知らしめるようだった。
 また音の使い方も面白い。特に印象的だったのが『ゴースト・トロピック』序盤でハディージャが寝落ちする場面。「いま意識が飛んだな」という瞬間が演技以上に音の抜き差しで伝わってくる。上映館も少なく公開から日も経っているが、できれば映画館で体感してほしい作品だ。

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